経営者鳥巣愛佳/とりっすー
「固執したら終わり」IT業界で21年間、変化に対応し続けた経営スピリットとはー株式会社サイバーテック橋元賢次代表
ここ数十年でもっとも変化が激しく、人々の生活に影響を与えているIT業界。
私が生きているここ20数年でも、
一家に一台しかなかったパソコンを、一人一台スマホを持つようになったり、
掲示板で行っていたコミュニケーションも、SNSで情報発信し合う時代になってきました。
今回ご紹介するのは、創業21年目に突入するIT企業。
変化が問われるITの業界で、一体どのように壁を乗り越えられたのでしょうか。
株式会社サイバーテック代表取締役社長 橋元 賢次氏
大阪府出身。1995年愛媛大学電気電子工学科を卒業し、沖電気工業入社。LSI設計やLSI評価用ソフトウエア開発業務に携わる。98年9月、同社を退社しITベンチャー企業「サイバーテック」を起業。ビットバレーやITバブルなどもかいくぐりながら現在に至る。事業の主軸は、マニュアル管理システムの提供、Webサイトの運用代行、ITアウトソーシングやBPOなど。フィリピンのセブ島にも自社オフショア開発拠点がある。
創業21年目、ITで独立した理由とは
創業21年、おめでとうございます!21年前と今とではITのあり方も大きく変わっていそうですね。
めちゃくちゃ変わりました。電話線を繋いでお下がりのコンピューターを扱っていた頃から、扱っているコンピューターもプロバイダもソフトウエアも…..もはや跡形もないですね。
なんだか難しそうなワードがいっぱい出てきそうで不安ですが(涙)ぜひそのように変化に対応されてきたストーリーを、お話いただけたらと思います!橋元代表はエンジニアとしてのキャリアも長いそうですね。
理系の大学を卒業して、3年半システムエンジニアとして勤務していました。1998年に会社を設立したのですが、当時は起業することも想定していなかったですね。副業で案件を請け負ううちに、自然な流れで独立したんです。
いまでこそ副業や働き方が注目されていますが、21年前から取り組まれていたとは驚きです…..。
もちろん副業は当時、御法度です(笑)でもコンピューターが好きだったので仕事以外でも、何かできればいいなと思っていたんですよね。
ホームページの制作をしていました。今でこそ誰でもホームページが作れる時代になっていますが、タグをひたすら打ち込んで作っていたのが懐かしいです。
なるほど、でもそのお話も橋元代表が20代前半の時ですよね?どうやって、お仕事を受注されていたんですか?
もちろん人脈も、今みたいなクラウドソーシングもありませんでした。でも昔も今と似たような「@nifty」や「メーリングリスト」と呼ばれるネット上のコミュニティがあったんです。その時のネットは今よりもずっと平和な世界だったので、若くてもコニュニティの人たちと仲良くなって、仕事のやりとりができたんですよ。
今ではそれこそクラウドソーシングで営業や発注・受注が簡単にできますが、媒体は違えど約20年前からネット上での交流ができていたんですね。なんだか意外です。
媒体も使い方もどんどん変わっていきますが、コミュニケーションのあり方は変わっていないこともあります。
そういった副業を経て、独立の決め手は何だったのですか?
インターネット接続サービスの管理者募集の案件が入ってきたんです。機材ごとお引き受けして、その仕事をしつつ自分でも仕事をしていこうと思いました。
独立というと「これがやりたい!」というような確固たるビジョンを持ってる方が多い印象ですが、すごく自然な流れのように思いました。
そうですね。海外に拠点をつくったり、開発していたものや取り扱う商品も大きく変わってきましたが、お客様のニーズに答えていった結果、生まれたものがほとんどです。
変化に対応した経営判断のベースにあるもの
インターネット接続サービス事業ではじまり、現在はデータベースソフトウェアの提供や周辺部分の開発と、事業内容だけみても21年間で大きな変化を感じます。
開業した頃にやっていたインターネット接続サービスも、NTTが似たようなサービスを始めたので、素直にこれじゃ勝てないと思ったんです。それはBtoCの事業だったのですが、もう一方でBtoBの施策も進めていました。それが今の主軸事業になっているんです。
NTTの波が来ると知って撤退を決めたのも、リスクヘッジされていたのも、素晴らしい経営判断ですね。
今や跡形もないサービスの開発をしたり、色んな変化に対して色んなことをしてきましたが、無駄なことは何一つなかったですね。全部繋がって今があると思っています。「色んなことをやる」と言っても、全く別ジャンルのことはしていませんでした。すでにあるものに付け足すことを繰り返しているのです。
変化の大きな業界だからこそ「これしかやらない!」と固執しないことが、強みだったのかもしれないですね。今はフィリピンのセブに拠点を構えていらっしゃいますが、もともと海外進出を考えられていたのですか?
自社製品の開発コストを下げるために、チャンスがあれば海外で作ってみようと思っていました。しかしながら渡航経験もなくパスポートも持っていなかったので、取得することから始まりました(笑)
とても意外です。IT企業の海外進出と聞くと、もともと海外事業やりたかったんです!とか、留学していたので!とか、海外経験豊富そうなイメージでした。
全くなかったですね。まずは上海を拠点にしようと思ったのですが、言語の壁があり、開発スキルのバランスも難しくもあり、結果的に失敗に終わったんです。そこの学びを経て、物価が安く、インフラもある程度整っていて、英語圏でもあるフィリピンのセブに決まりました。システム開発や業務プロセスの一部などを委託しています。
ITならではのフットワークの軽さも、海外拠点の設立には向いてたのかもしれないですね。
ITはシンプル。うまく付き合うためにリテラシーを高めること
ところで、橋元代表自ら執筆されているブログやメルマガも面白いと話題ですね!
ありがたいです。副業をやっていた頃にメルマガのライターをしていたこともあって、物を書くことも好きだったんです。今ではメルマガに2万人の方が登録してくださっています。
会社が落ち着いたら物書きになろうと思ってるくらいなんですよ。昔から物を書くことは、コンピューターと同じくらい好きなことのひとつだったんです。
道具や方法は違えど、物を書いたり開発するというのも、いつの時代も変わらずあるものだと思いました。
ITに苦手意識を持ってしまう人も多いですが、実は難しいことではないんです。端末や入力の方法が変わっても、入力する・表現するという仕組みは変わらないんですよ。スマホでもPCでも、端末にこだわらずに、色んなものを扱えるといいですね。変な情報に影響されないように、自分の目で見て判断するリテラシーは高めておくと、今後もどんどん変化していくITともうまく向き合っていけると思います。
株式会社サイバーテック代表取締役社長 橋元 賢次氏
大阪府出身。1995年愛媛大学電気電子工学科を卒業し、沖電気工業入社。LSI設計やLSI評価用ソフトウエア開発業務に携わる。98年9月、同社を退社しITベンチャー企業「サイバーテック」を起業。ビットバレーやITバブルなどもかいくぐりながら現在に至る。事業の主軸は、マニュアル管理システムの提供、Webサイトの運用代行、ITアウトソーシングやBPOなど。フィリピンのセブ島にも自社オフショア開発拠点がある。