50年間、ITの最先端で走り続けてきた会社の存在を知っていますか?
須澤 通雅氏が社長を務める日本ラッド株式会社は「IT分野のホームドクター」として顧客の課題に向き合ってきました。
変化の著しいIT業界で50年も続く経営ができているのは
「一般的に良しとされる、選択と集中をしなかったから」だと須澤社長は話します。
小学生でPCと出会い、今も自らプログラムを書いている須澤社長の挑戦の奇跡とは。
日本ラッド株式会社 代表取締役社長
須澤 通雅氏
https://www.nippon-rad.co.jp/
小学生でPCと出会い、中学生でプログラミング専門誌の常連に
とりす:
50年続くIT企業ってすごいですね。須澤社長ご自身も、ITに触れている時期は長かったんですか?
須澤社長:
PCは小学生の頃から触っていました。「TK-80」と呼ばれるマイクロコンピューターシステム開発のためのトレーニングキットを知人が持っていて、それを貸してもらったのがきっかけで、遊ぶのが好きになったんです。中学生の頃には、プログラミング専門雑誌に自作ゲームのプログラムを送って、いただいた原稿料で新しいPCを買っていました。
とりす:
中学生で雑誌に採用されるほどの仕事をしていたんですね….!
須澤社長:
仕事ということでもないのですが、こどもの頃はとにかく多趣味で、電子工作や機械を触るだけでなく楽器(キーボード)も中学3年くらいから始めました。当時のテクノ系の音楽が好きで高校生の頃はバンドをやっていたのですが、テクノ音楽に必須なシンセサイザーのような自動演奏の機械は、当時は何百万円もするものだったので……自分で作れたらいいなと思って。
とりす:
ないなら作ればいい!シンプルに聞こえますが、実際はものすごく複雑な仕組みなのだろうな……
須澤社長:
PCの拡張ボードを電子基板から起こしてハードウエアを自作し、楽器に無理やり繋いで音を出していました。当時は今のようにインターネットがないので調べるのは苦労しましたが、半導体などの電子部品の仕様書をメーカーから取り寄せて、独学で電子回路を設計していました。
その回路図とシーケンサーのソフトもコンピュータ雑誌に投稿して原稿料になったので(笑)当時の雑誌が残っていれば掲載されているはずです。難しそうですが、実は高校生レベルの考える力があればできるものなんですよ。子供の能力を侮ってはいけません(笑)
とりす:
全く想像ができないです!ご自身で調べて作られたということは、独学なんですね。
須澤社長:
システムに関しては完全に独学ですね。大学も化学系でしたので情報系についてはカリキュラムが整った学務体系で学んだことは一度もありません。それでも、大学2年の時には情報処理1種(現在の応用情報処理資格試験の前身)は取得していました。好きなことを追求していった結果、仕事にも繋がりました。
「〇〇を理解すること」独学のコツとは
とりす:
独学ができる人って羨ましいなと思うんです。私はカリキュラムがないと安心できないタイプで……独学のコツってありますか?
須澤社長:
ものごとの原理を知ることだと思っています。たとえば音楽制作には「コード進行」と呼ばれる、メロディーやサウンドを形づくる骨格があって、それを道しるべに楽曲を作っていくと、それなりにできるようになっているんですね。
コード進行自体がロジカルに作られているので、その原理をまず理解することが肝なのです。
とりす:
原理を理解しておくことで、幅広く創作できるということですね。
須澤社長:
プログラムはコードを書く人によって、処理速度に何百倍のスピードの差が出る分野なんです。でも動作原理を知っていれば、大きく間違うことはありません。
ですが、意識して原理を学ぼうと思ったことも特にないので、何か本能的なものなのかと…..。
とりす:
好奇心で本能的に原理を知っていけたから、学んでいけたんですね。須澤社長はそこからずっとITの世界にいたんですか?
須澤社長:
実はPCは高校までで飽きてしまったんです。高校ではPCとバンドしかやってなかったので大学はどこも受からず1年間浪人して、京都大学の工学部で化学を学びました。
とりす:
全く違う分野への転換ですね……!
須澤社長:
京大生は授業に出ないことで有名ですが私はほとんど授業に出ていて、同級生に授業ノートを貸す側でした。それでも暇だったので、大学のすぐそばに短期バイトを紹介する機関があってよく出入りしていました。お金も必要だったので、6年間で合計100業種くらいの短期アルバイトを経験したんです(笑)
銀閣寺の草むしり、バーテンダー、お弁当工場でベルトコンベア上を流れるお弁当にひたすらおかずを詰める作業など、いろんな仕事を経験しました。その流れでマッキントッシュのプログラマーの仕事に出会って、卒業するまで勤めさせていただきました。結局、ITに戻ってきたんです。
とりす:
いろんな職を経験してから、やっぱりITだと。
須澤社長:
好き嫌いはともかく、やったことの成果が人様から一番評価される仕事がやっぱりITだったんですよね。
大学が化学系でしたので新卒で石油会社に4年ほど勤めましたが、週末のみプログラマーとして活動していました。学生時代の知り合いが立ち上げたネットベンチャーに誘ってもらい転職することになり、それ以後ずっとITの業界にいます。
自ら現役プログラマーとして事業を立ち上げ
とりす:
須澤社長は社長でありながら、サービス開発もされているとお聞きしました。上場企業で、社長が現役でプログラマーをしている環境は珍しいですね。
須澤社長:
イノベーション推進室というのがありまして、自分もメンバーとして活動しています。社長の裁量で好きなことをやっていいチームです。事業を立ち上げたり、海外のサービスを持ってきたりしています。
とりす:
最近では、どんなサービスを立ち上げられたんですか?
須澤社長:
最近ですと「トルテル」と呼ばれるワクチン予約システムを開発して、東京都府中市を始め自治体や医療機関に導入いただきました。
2021年の4月頃にワクチンの予約電話が殺到していると知り、何かできないかと思って立ち上げた、完全無人のコールセンターです。マイナカードとも連携させました。
参照:https://www.nippon-rad.co.jp/es/#torutelseries
とりす:
ベストタイミングで必要なサービスだったのですね。社長自らが事業の立ち上げに前のめりだと、社員さんも発言しやすい空気感なんだろうな……。
須澤社長:
社員はイノベーティブというよりも真面目なタイプが多いので、新規事業がたくさん出てくるという訳ではないのですが、みんなが挑戦しやすい雰囲気を作っていきたいとは思っています。
これも創業者で会長の大塚のスタンスです。何かアイデアがあるときは発案者がその事業のリーダーとなるのが一番で、まずはイノベーション推進室内の社内ベンチャーからスタートして事業育成していければと思っています。いずれ事業が大きくなれば分社化して独立して…のような構想を描いています。
「選択と集中をしない」変化に対応した経営で50年
とりす:
50年というとITの分野では、老舗だと聞いたことがあります。50年で事業の内容はどのように変わってきましたか?
須澤社長:
事業内容はほぼ変わらずに、ソフト・ハードの両面でITのサポートを行っています。お客様からのご依頼を受けて開発する受託開発が基本ですね。
社員が一生懸命に仕事に向き合ってくれているおかげで、お客様からの信頼をいただいて来れました。
とりす:
すごいですね…!変化の激しいIT業界で生き抜くことができたのは、なぜでしょうか?
須澤社長:
結果論にはなってしまいますが、一般的に良しとされる経営指針である「選択と集中」の、真逆をやってきたことだと思っています。
とりす:
いろんなことを手掛けるということでしょうか?
須澤社長:
はい、いろんなことに手を出して、ちょっとずつたくさんの失敗をしてきた会社です。
とりす:
失敗とは、具体的にどのようなことですか?
須澤社長:
当時はまだ一般的でない難しい技術に、真っ先に突っ込んでいくようなことをしていました。例えば最近やっと実用化が進みつつある「人工知能」ですが、その源流となるような技術の研究開発に、30年以上前に取り組んでいます。
当時のコンピュータの性能では限界があって実用化には至りませんでしたが、実は人工知能と呼ばれるものの原理は今もそんなに変わっていないですね。
とりす:
最先端すぎる事業だったんですね。それも目の付け所がすごいと思いますが…….
須澤社長:
うちは社員が300名ほどの会社なのですが、事業部が8つもあるんです。各事業部の裁量がとても大きくて、小さな会社が8つあるような会社です。どこか一つの事業部がある年度はたまたまダメでも、他でカバーできたことが、これまで何度もあった不況を乗り越えてこられた理由だと思います。
とりす:
失敗しても大丈夫な環境がありつつ、挑戦されてきたと。
須澤社長:
「挑戦しろ、失敗を恐れるな」というのはいまでも会長からずっと言われています。会長も自分も含めて歴代の社長がほとんど技術者出身だったのは、そのような文化を浸透させていきたい会長の思いがあったのかもしれません。
社名のRADはResearch
and Development(研究開発)の頭文字から来ていますが、社名にふさわしい会社であり続けたいと思っています。
とりす:
須澤社長ご自身もいろんなことに挑戦させてきたように、会社も選択と集中をせずにどんどん新しいことをやってきたからこそ、そのマインドやナレッジが溜まっていったのですね。
起業するならITを学んだ方がいいワケ
とりす:
近年はこどもの将来の夢に「エンジニア・プログラマー」がランクインするなど、業種としても注目を浴びていると思いますが、若者がITを学んだ方がいいと思う理由はありますか?
須澤社長:
いつか事業で成功したいと思っていたら、ITを学んでいた方が、いいサービスを作れると思っています。GAFAの創業者はほとんどプログラマー出身ですし、海外ではサービスを作った技術者がそのまま社長をやることの方が普通です。
マイクロソフトのビルゲイツ、アマゾンのジェフベゾス、Facebookのマークザッカーバーグ、Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンもみんな優秀なプログラマーです。アップルだけ違いますが。
とりす:
本当だ、名だたる経営者ばかり……!
須澤社長:
自分で何度もサービスを生み出していくうちに、ビジネスの勘所を掴んでいってるのではないかと思っています。日本は技術者が認められにくい世界なのですが、そうやって世の中に貢献しているプログラマー出身の経営者はチラホラいるんですよ。日本もmixiの笠原さん、ディー・エヌ・エーの守安さん、GREEの田中さんもそうです。
ここ数年で大学を卒業してすぐに起業する人も増えましたし、エンジニアやプログラマーが増えたおかげで事業を立ち上げるハードルも下がったのではないかと思います。
とりす:
自分で作れるから、何度もトライエラーできて経験値も上がって、ビジネススキルも磨かれていくんですね。
須澤社長:
実は日本も安心してはいられないんです。インドやバングラデッシュでは、かつては勉強ができる人はみんな医師や大学教授を目指しました。それらの職業に就くには10年はかかりますが、IT技術者は若くして成功する例も多いので……今の発展途上国の学力トップ層は皆、ITエンジニアを目指します。
「プログラマーになれば世界のミリオネアになれる」という教育を受けていることもあるんです。実際にITの最先端であるシアトルに行ってみたりすると、そこにいるのは多くがインド人だったりするんですよ。これからのITエンジニアは、そういう世界のトップ層の頭脳と一緒に仕事をしていかなければなりません。
とりす:
そうだったのですね!世界ではそんなに注目されているんだ…!医者と大学教授に並んで、夢のある仕事になってるんですね。
須澤社長:
うちの会社も文系理系問わずに、入社するとまずは全員プログラミングを勉強してもらいます。向いてる人は初心者でも3ヶ月である程度できるようになります。もちろん適性を生かした配属をしますが、プログラミングを好きになって、はまってくれると嬉しいなと思います。
今後も採用に力を入れて「一緒に働きたい」と思ってもらえるような会社にしていきたいです、と話す須澤社長。
上場企業で社長と一緒に事業開発ができる環境も、代々受け継がれてきた挑戦のマインドが浸透しているからなのでしょう
「なぜそのようになってるのか」の原理を追求していくことは、好きを仕事にしていくために必要な思考なのかもしれませんね。
日本ラッド株式会社 代表取締役社長
須澤 通雅氏
https://www.nippon-rad.co.jp/