「一緒にメディア作らない?」
仲の良い友人からの一言で、アシスト編集長という新たなストーリが始まりました。
ブロガーであり、スタートアップでコンプレックス系メディアの立ち上げを経験し、メディア運営やライティングというものは、私にとっては身近なもの。
「やる!」
行動の判断基準はいつだって直感。この人とこの人仲間たちと一緒に面白いことをやりたい。理由はただそれだけでした。
「どんなメディアにしようか?」
その場で駒を次に進めたのを覚えています。
真面目な学生アスリートから一変、レールを外れて生きてみた。
福岡県の大牟田市出身。ダンスとエアロビクスに小学2年生で目覚め、早稲田大学商学部に入学と同時に上京。
経営コースのゼミに入ると同時に社会科の教職課程を履修しながら、エアロビックの選手兼コーチとして活動し、
文字通り真面目な学生アスリート生活を送ってました。
エアロビックで世界大会まで出場し、大学の友達と結成したエアロビクスユニットが全国大会5位入賞。コーチとして経験を積みながら、目の前のことを楽しむ日々を過ごします。
この頃ブログに出会い、情報発信の楽しさと可能性を感じていました。
しかし、何ひとつ迷いなく就職活動をしていた時、ひとつの疑問が頭をよぎります。
「このまま好きなことをして、生きていてはいけないのか?」
安定した会社に入って、安定したお給料をもらう。これが全ての成功であり善だと教育されてきた私は激しく迷い、自問自答を繰り返していました。
その結果出した答えは「新卒フリーランス」
就職しないという選択をして、自分らしい生き方を追求することに。
いわゆるレールを外れた人生への大きな方向転換。
この決意を書いた記事が炎上騒ぎになり、有名ブロガーの方々に取り上げられることになります。
自分は何ものになりたいのか、模索の日々
独立直後は運動指導者としての勉強と現場での指導、スタートアップのインターンを両立。目の前のものをひたすら吸収する日々でした。
しかし運動指導のノウハウやビジネスを身をもって学んだものの、自分が実践し、続けていくには常にマインドブロックがかかります。
自信のない自分がいつもどこかにいて、一歩は踏み出すにせよ、やり続けるほどのモチベーションが保てずにいました。周りと違う生き方をしている自分が不安になることも多々ありました。
仕事では共同で行っていた事業の契約を突然切られたり、不当な扱いをされることも多々。フリーランスという働き方の厳しさを知り、自分の価値を見出せなくて滅入っていました。
自分が何をしたらいいのか、何ものになりたいのか、わからない時期を過ごします。
「自信なんてものはそもそも存在しない」一変させられた一言
独立して数年たったある日、そんなモヤモヤした気持ちを一気に突き抜けさせる言葉に出会いました。
「自信がないって言ってるけど、自信なんてものはそもそも存在しない。ただの概念をまとめた言語でしかないんだよ。」
今まで何と比較して「自信がない」と言って行動しきれなかったのか。
可能性を閉ざしていたのも、限界値を決めていたのも、いつだって自分でしかなかったことに気づきます。たった一言でしたが、鎖がほどけたように何も怖いものがなくなりました。
背中を押したい。未知の可能性を楽しんでほしい。
私はフィットネス講師として健康をサポートする仕事をしていますが、そのフィットネスもライフスタイルの一部でしかありません。
人生の大半の時間を締める「労働」のあり方も大きく問われています。
同世代(20~30代前半)の働き盛りの仲間たちが、いま何を思ってどう働いているのか。
その情報を発信することで、人生の選択肢が増え、視野広く、働き方や人生に刺激を与えられたら嬉しいです。
「何ものかになりたい」思いを持った人たちの背中を、強く押していきます。